駄文集

『消え行く』

「さっさと消えろ! もう来るな!」
 俺は彼女に向かって、怒声を浴びせた。彼女はびくりと肩を震わせると、悲しそうな顔を俺に向ける。
 そんな顔をするな。未練がましくて、俺の同情を誘っているようで、俺をいらいらさせる。
「だから、さっさと消えろよ!」
 俺は、まだそこにいる彼女に向かって、怒声を再び浴びせる。
 彼女は俯き、今度こそ、俺の前から消えていった。
 そう、それでいいんだ。俺も未練がましくしなくてすむ。
「ん?」
 俺は彼女が消えた後に、一枚の紙切れが床に落ちている事に気づいた。
 その紙切れを拾って、それに目を通す。
「あの馬鹿……こういう事は、消える前に言えよ」
 俺は目頭が熱くなるのを感じ、そして、頬を温かいものが伝うのが分かった。
 その温かみを感じたのが、悲しくなくて、嬉しくて、悔しかった。

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『笑顔』

 彼女の笑顔が好きだ。彼女はいつも僕に笑顔を向けてくれて、その笑顔が堪らなく好きだった。
 それなのに、今日の彼女は笑顔を見せずに、嗚咽を漏らして、ぽろぽろと涙を零していた。
 笑ってよ。いつものように笑顔を僕に向けてよ。僕は君の笑顔が好きなんだ。そう言いたかった。
 だけど、僕の声が彼女に届く事はもう二度となくて、彼女に触れて慰めてあげる事ももう二度とできなくて、僕に笑顔を向けてくれる事がもう二度とない。
 何より、彼女の悲しみの元凶であるこの身が恨めしかった。

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『無有無』

 その日、部屋を覗いたら、誰もいなかったけれど、誰かがいた。
 ある日、部屋を覗いたら、誰かがいたけれど、誰もいなかった。

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『吉兆』

 カラスが再会の地へ舞い降りた。

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『策士』

 ゴキブリ氏は、いつもそこに寝転がっておられる。
 皆は言う。ゴキブリ氏はもうお亡くなりになられたのだ、と。
 しかし、私はそうではない事を知っている。ゴキブリ氏は人類が滅び、己が時代が来るのを粛々待っているのだ。
 だから、私は決めた。ゴキブリ氏にはご退去願う事を。

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『その一瞬』

「!」
 少年は息を呑む。
「?」
 少女は目だけで聞いてくる。

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『彼風』

 彼がそこにいたので声をかけた。
 しかし、そこには誰もいなかったので、友人は私の事を訝しがった。
 それでも、彼はそこにいた。彼は風になったのだ。

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『我輩は不幸である』

 我輩は不幸である。名前がまだない。

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『月』

 ある新月の晩、お月さんが我が家を訪ねてきた。
 とりあえず、お月さんを客間に通して、お茶を出す。まん丸お月さんなので、ストローをつけて。
「お月さん」
 私はちゃぶ台を挟んでお月さんの前に座して、不躾に一つ聞いた。
「何で霞んでるんですか?」
 お月さんは霞んだ微笑をこちらに向け、というのは気のせいだろうけど、お月さんは一つだけ言った。
「明るすぎるのですよ」
 なるほど、と私は納得して、部屋の明かりを全て消した。
 これでどうだ、とお月さんの方を見てみる。
 真っ暗で何も見えなくて、その中でお月さんが苦笑いしてるような気がした。
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